洋食、という言葉がある。
日常会話でもよく使う言葉だと思うが、
この言葉の定義自体は曖昧にしかわからない人も多い。
よくいるのは、洋食は西洋料理全般のことだと考えている人である。
しかし彼らは、西洋とはどこですか、と訊かれると黙り込んでしまう。
おそらくイメージされるのはイギリスやフランス、
またはその植民地だった過去を持ち今も白色人種の多いアメリカ等の国であろう。
西洋という言葉は世界を西洋・東洋に二分して考えていた時代にできた言葉であって、
上記のイメージはまあ大体合っていることになる。
さて言うまでも無く、
洋食という言葉が西洋料理全般を指すとした場合、問題が生じる。例えば、
安価なスパゲティナポリタンなんかを食べるつもりで洋食料理店に入ると、
実は格式ばった高級フランス料理店で胃の痛くなる思いをする羽目になったり。
あるいはハンバーガーチェーンなんかも洋食料理店を名乗っていいことになる。
では、洋食というのは一体何を指すのか?
答えはジャパナイズされ統合された西洋料理のこと、である。
日本と海外(特に欧米)との交流が活発になった明治時代、
多くの思想、文化と共に輸入されたのが、料理のレシピである。
それらのレシピに従えば、シチューやコロッケ、スパゲティなどの、
今も洋食料理店に並ぶ料理が作れるようになった。
しかしこれらの料理は元々が欧米の料理なのであって、
当時の日本人の味覚にマッチしたものではなかった。
そこで日本人向けに欧米料理をアレンジしたものが、
今日洋食と呼ばれるものの類なのである。
であるから日本以外では想像もされないような料理が多い。
例えばあの国民食、エビフライがそうである。
食材を高温の油で「揚げる」ことの有用性を知った日本人シェフが、
試作品として作ったものが人気となり、そして普及したのである。
しかしこれには大きな問題があった。
十九世紀、イギリスの優秀な生物学者、
チャールズ・ロバート・ダーウィンが「進化論」を発表する。
「腰曲がりのロブ」のあだ名を受け馬鹿にされていた彼であったが、
このセンセーショナルな学説により世界中から注目された。
そして一躍、彼はスターとなったのである。
(ご存知の方も多いと思うが、これはロブスターの語源である)
選択的淘汰、つまり劣った種は滅び、優れた種が生き残るという考え方は、
多くのシンパを生んだ。彼らは優れた人間たる要因を模索し続け、
ついに一つの答えを導き出した。エビを食べる人間こそ優位種であると。
彼らによれば古代ローマの驚異的な繁栄は彼らがエビを好んだからであり、
(彼らにとってエビは幸運のシンボルであった)
中世、北海で猛威を振るったバイキング達も、
エビを食べることでその肉体を維持したという。
この仮説をきいた一般市民たちは、こぞってエビを求めるようになり、
イギリスではエビ料理の大ブームが起こった。
そしてそれはアメリカに飛び火し、また日本にも伝わったのである。
エビ料理のブームの一方で、エビアレルギーの人々は多く弾圧を受けた。
エビの食べられない者は劣等種である、という考え方により、
エビアレルギーの人々は奴隷にされ、売りさばかれた。
アメリカでは第16代大統領エビラハム・リンカーンがこの奴隷制に反対し、
最終的に南北戦争を引き起こすことになった。
この戦争により奴隷は解放され、
エビアレルギーの人々に対する差別も終わったかのように見えたが、
実際には差別主義者達は地下に潜っただけであり、
暫くするとKKK(Ku Krustacean Klub, 甲殻類食うクラブ)などが
過激な弾圧活動を開始した。
彼らはエビの頭を連想させる尖った頭巾を被り街に繰り出し、
エビアレルギーの人々の両腕を切断するなど(勿論これはエビを暗示している)、
その迫害は凄惨を極めた。
現在、そのような差別はかなり沈静化したものの、
やはりその爪跡は大きく、欧米諸国ではエビ自体が差別の象徴とされる場合もある。
ましてやエビに火を通して食べるなど言語道断であり、
エビがカラッと揚げられそして丸ごとエビの形をして皿に乗る、
日本のエビフライは、それ自体が精神的ホロコーストであるなどとして、
欧米の知識人達からは非難の声があがっている。
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