衒学ポップ :\ Notes \ 芸術とは何であるか




芸術品という言葉の定義は何か?
辞書を引けば、芸術品とは美を表現するものだとあるだろう。
そして、美とは内的快感を引き起こすものだとあるだろう。
内的快感、なんて、漢字を並べ立てやがって。
とは思うがこれは単純に感動や情緒のことである。
要するに芸術品とは、
喜びや悲しみその他諸々の快い反応を我々に引き起こさせるもの
だと言える。
また、芸術と言うだけで芸術品と同義を表す場合もあるが、
ここでは芸術という言葉は芸術品を創出する行為のみをさすこととする。

勿論、世界にある全てのものは我々に働きかけている。
路傍に落ちている石ころですら、我々の想像を掻き立てる。
雑草から勇気を抽出するような歌謡曲もいくつもある。
そう考えてみれば全てのものは芸術品であり、
何かを創出する行為はどんなものであっても芸術ということになる。
ただし、先程の定義に従うのならば、
「創出された何か」が専ら不快感しか人に与えないようならば、
それは芸術品ではないのである。

あるコックがエビフライを作ったとしよう。
少しでもエビフライを美味いと思う人にとって、
このエビフライは芸術品である。
しかしエビフライを見ただけで吐き気を催すという人にとって、
このエビフライは芸術品ではない。
つまりある人にとっては芸術品であっても、
またある人にとっては芸術品でないという場合が存在する。

芸術品という言葉の定義は常に、
鑑賞者の価値観によって揺れ動く。
そして必然的に、芸術という言葉の定義も揺れ動く。

そう考えてみれば、芸術品について交わされる議論の
世界的・歴史的多発は当然のことであった。
これは芸術品だがそれは芸術品ではない。
いやこれこそ芸術品だ。いや違う。
これだ。あれだ。どーたら、こーたら。

断言するがこれらの議論は不毛である。
彼らは芸術品という言葉の定義に踊らされただけの犠牲者に過ぎない。
民主的に解決することも出来ない。
何人以上の人間に内的快感を与えたら芸術品、なんて線引きは不可能だ。
ほとんどの人間に雑音としか捉えられなかった音の集合が、
後に音楽(音による芸術品)として捉えられるようになった例がいくつもある。

全てのものが芸術品というカテゴリに滑り込み得る。
そしてこの考え方をとるのならば、
今現在芸術品と呼ばれているものが後に芸術品でなくなることもあり得ると
認めざるを得ない。
また芸術家(芸術を行う者全般)がその心血を注いで創ったものであろうと、
音楽でも聴きながら片手間に創ったものであろうと芸術品である。
芸術家の創り出した原本であろうと、そのコピーであろうと芸術品である。

この芸術品という言葉の広義の内にどれだけカテゴリを作り出そうが、
あるいは「芸術品」「芸術品でない」という二つの真理値以外に
「芸術的」という真理値を認めたり、
「芸術度」というパラメーターを創出しようが、
それは個人の自由である。
しかしながら、「これは芸術品じゃない」と言うよりは、
「これは私にとって芸術品じゃない」と言って頂きたい。
また「これは芸術品じゃない」と言う人がいたら、
「これは彼にとって芸術品じゃない」と脳内変換して頂きたい。



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