衒学ポップ :\ Notes \ 自己顕示とは何であるか




自己顕示という言葉の定義は何か?
辞書を引けば、自己顕示とは他人の注意をひき自分の存在を際立たせることとあるだろう。また、実際より優れたものに見せかけるというニュアンスを含む場合もある。

つまり何らかの分野において、自分を優れて見せる「演出」が自己顕示なわけだが、本稿ではもう少しだけ踏み込んでみる――どうして人は自己顕示するのか?



前提

本稿では社会と群れを区別する。どちらも二以上の個体の集団であるとするが、階層を形成するものを「社会」、しないものを「群れ」と呼称する。

「コミュニケーション」という語はバーバル・コミュニケーション(言語交流)、ノン・バーバル・コミュニケーション(非言語交流)のどちらも含むとする。

アリストテレスも言ったように、人間は社会的動物である。



社会的とは、社会を形成して生きるという性質のことである。これは原始以前、サルの時代から引き継がれてきた性質である。生活の大半を群れで行い、個体が傷つけば集団で助ける等といった連携、コミュニケーションをこなすうちに、群れを牽引する個体が現れ、階層が形成され、これによって群れは社会になった。

個体の利益よりも集団の利益が優先される場合もある。だから、社会を形成して生きる上では、自分の利益を追求するという生物本来の性質「利己」と、社会の利益を追求するという新たな性質「利他」が同居することになる。そして勿論、自己顕示は「自分を」優れて見せる演出であるから利己的行動である。社会的に疎まれることを避けるため別の言い方――例えば「自己表現」「訴えかけ」「アート」等――が使われることもあるが、大抵の場合「自己顕示」に脳内変換してしまって問題無い。そもそも、自己顕示は人類共通の行動なので、本来は、疎む必要も隠す必要も無い。

自分を優れて見せるということは相対的に他人は劣って見えるわけであるから、自己顕示者は権威性を獲得し、そこに階層が形成される。よって自己顕示は群れで行われるものではなく、社会で行われるものである。……と、いうより、自己顕示を行うから階層が生まれ、社会が生まれると言った方が正しい。先にも書いたように、リーダーの出現は、コミュニケーションに先立たないのである。
ざっくばらんに言えば、自己顕示が社会を作る。

階層という表現を使うと上下関係をイメージしてしまうので、集団という言葉を使えば、自己顕示者は集団の中心に収まる。階層が形成するピラミッドを真上から俯瞰して、頂点が中心に来ることをイメージして頂きたい。また厳密には、複数存在するものを中心とは言えないし、それは一点である。

階層形成がなぜ現在まで廃れなかったかと言えば、社会全体の活動を効率化するために有益であるからである。社会全体がまとまって動くことは効率化のために不可欠だが、まとまるとは個体行動の方向性を統一するということであり、言い換えれば意思を統一するということである。そのために意思決定権を中心に集めるわけである。頭がいくつもある龍は、そのうち首をからめてしまいかねない。

自己顕示とは自分を優れて見せること、自分を優れて見せることとは階層の上部へ進むこと、階層の上部へ進むこととは集団の中心となること。
つまり自己顕示の本質は、集団の中心となることである。

これが表すのは、何もリーダーやボス、隊長会長社長になるということだけではない。中心から離れまいとする、消極的な行動も含まれる。友だちから仲間はずれにされないように立ち回ったり、上司の飲み会に付き合ったりするのもまた自己顕示的要素を含むと言える。先にこれらが消極的だと書いたのは、これらは自分を優れて見せるというよりは、悪く見せないという点に主軸を置いているからである。もう一つ、これも書いておかなければならないだろうが、いじめや村八分といった、他個体を社会から追放する行為は、他個体を社会の中心から押し出すということであり、逆算すれば他個体を劣ったものとする行為である。相対的に自分達は優れたものとなるため、これもまた自己顕示的要素を含む。



まとめ

自己顕示とは、
・自分を優れて見せる、本来の、積極的自己顕示
・自分を劣って見せない、消極的自己顕示(中心からの押し出しに対する防衛)
・他個体を劣って見せる、攻撃的自己顕示(中心からの押し出し)
の三メソッドに分けられるコミュニケーションであり、その目的は、「集団の中心となる」という利己的なものである。これによって群れは階層を持ち、社会となる。



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