衒学ポップ :\ MnB \ ある商人の物語 #09






やめておいた方がいい、とはどういうことだろうか。クダンはその駐屯兵の多さから、油の取引が盛んであり、値は下がることがないという話だったが。
「あんたも噂をきいたんだろ? クダンで油が足りないっていうね。けど実際には違う」
「というと?」
「南部戦線のことは知ってるよな? うちの国はカーギットと戦争中だが、サンジェッシェ山と深い森のせいで、膠着状態にあった。だが三日前、カーギットの猿どもが国境を越えて来た」
「戦いがあったのですか?」
「ああ。ルディン卿が兵を率い打って出た。奴らを南に押し戻すことには成功したが、こっちの被害も大きかった。あんた、イシュミララ村を通らなかったんだろ?」
「はい、真っ直ぐにこの街に。どうしてわかるんです?」
「わかるさ。あの村は今負傷兵でごった返してるって話だ。通ってりゃ、戦いがあったことくらい知ってるだろ。まあとにかく、今この街の防備は手薄なんだ。そんで、クダンからここキュラウに、駐屯兵が移されることになってる」
しまった。もう少し早く来ていれば、戦いが起こる前に油を売れただろうに。戦争は経済を大きく動かす。それは、今回は私にとって悪い形で表れたわけだ。
「クダンに油を売りに行った奴は結構いたよ。あっちは今ごろ、売れ残りの油壺を抱えた商人で溢れ返ってるだろうな。なにせクダンの連中からしたら、油を買ったところで使うあてが無いんだからな。あんたは、キュラウに寄って運が良かった」
つまり、この男性は私にここで油を売らせようとしているのだ。しかし、買値が五百五十デナールなら、売値はかなり安いだろう。……いや、待てよ。
「ならなぜ、ここでは油がこんなに安いんです? これから油が必要となるのでは?」
「備蓄があるってのも理由の一つではあるが、俺達はクダンで油を売り損ねた連中が、少しでも儲けようとこの街にやってくると踏んでるのさ。ここはクダンほど寒くないとはいえ、これから油の需要は高まり、値は上がっていくだろう。けどそれはずっと先の話だ」
少し沈黙が続いたが、ちょっとして私は口を開いた。
「……他に道は無いようですね。幾らで買っていただけます?」
店の主人は、ふっ、と顔を綻ばせて、答える。
「四百五十出そう。少ないと思うだろうが、クダンから南下してくる連中からは、もっと安値で買うつもりだ。これでもサービスしてるんだぞ」
正直なところは、三百デナールで三つの油壺を買い、一つにつき四百五十デナールで売れるのならば儲けとしては十分だった。だが、少しでも利益を大きくするのが、商売の基本だ。
「私は、国にすぐ帰るつもりはないのです。ヴェイジャーで毛皮を仕入れようと思っているのです。ですから、油を売る代わりに」
私は、店の主人の後ろにある棚を指差した。
「それは、狼でしょうか。安く譲ってはいただけませんか」
すると店の主人は振り返って、紐でくくられた毛皮をちらりと見、
「なるほど、毛皮、ねえ」
と呟いて、引き出しから帳簿のようなものを取り出し、眺め始めた。
「ヴァロ、クラウス……こいつはふっかけるだろうし……うーん、そうだな……ああ、タネリ、こいつがいいか」
何かを見つけたらしい。彼は顔を上げた。
「この毛皮はちょっと売れないが、クダンで、あんたが毛皮を安く買えるようにしてやる。勿論ギルド公認の割引証書を渡すから、確実だ。それでどうだい?」
毛皮を売るならば、北にある海洋国家、ノルドに向かうことになる。寒さをしのぐため、必需品として毛皮を扱うヴェイジャー人と違って、ノルド人は家具などの贅沢品として毛皮を扱う。カーギットの民も毛皮を好むが、治安が悪く、カーギットは行商には向かないというのが商人達の共通認識だ。ノルドまで北上するのならクダンはどうせ道中だし、不都合は無いだろう。私は笑顔を作って見せ、右手を差し出す。
「いいでしょう。商談成立ですね」
「まいど」
店主が――元からだが――笑顔で、握手に応えた。



証書は、翌朝にでも取りに行けばいいということであった。商談もまとまったことだし、私は酒場で少しくつろぐことにした。





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